応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
鎮座地:東京都杉並区大宮2-3-1
社号標
一之鳥居
参道
神門
神門
拝殿
若宮八幡神社神社
御祭神
仁徳天皇・八幡大神の荒神魂
白幡宮
御祭神
源頼義公・八幡太郎義家公
御嶽榛名神社
大宮稲荷神社
白山神社
大宮天満宮
多摩清水乃社
御祭神
水神様
御神徳
延命長寿・厄除開運
東京都杉並区。住宅街の奥に、ひっそりと、しかし確かな存在感をもって佇む「大宮八幡宮」がある。境内の石畳を踏みしめると、いつしか喧噪は遠のき、時間の流れまでもがゆるやかになる。まるで、現代という衣を脱ぎ捨てて、遠い過去へと歩みを進めるかのようだ。
創建は、今からおよそ千年前。康平六年(1063年)、源頼義公が奥州へ出陣するにあたり、この地に八幡大神の加護を願ったことに始まる。戦の前夜、大宮の空に現れた八条の白雲は、まるで源氏の白旗のようにたなびいていたという。頼義公はそれを吉兆と捉え、凱旋ののち、その誓いを果たすべく、京都・石清水八幡宮から分霊を勧請し、この地に社を建立した。
大宮八幡宮は、武家の守り神としての記憶を静かに湛えながら、長い時を超えて今に息づいている。境内に足を踏み入れると、木々のざわめきさえどこか古典の調べのように聞こえ、空気はひんやりと、背筋を伸ばしたくなるような凛とした気配を帯びている。
本殿の前に立てば、その端正な佇まいに自然と頭が垂れる。祈りが重ねられた年月が、建物そのものに染み込んでいるかのようで、荘厳さに身が引き締まると同時に、どこか安心感も与えてくれる。静けさの中にある、確かな力。神社とは、ただ古いのではなく、祈りによって深められていく場所なのだと実感する瞬間である。
夏、七夕の頃には、拝殿の脇に色とりどりの短冊が揺れる。子どもたちの無邪気な願い、老夫婦の穏やかな祈り。風に舞うその一枚一枚が、まるで空に手紙を送るかのように空間を彩っている。見上げるたび、言葉にできない何かが胸に込み上げ、しばし足を止めたくなる。
大宮八幡宮は、派手さはない。けれども、訪れるたびに、何か大切なものを思い出させてくれる。日々に忙殺された心が、ふと立ち止まり、自分自身と向き合える場所。そうした時間が、どれほど贅沢なものかに気づくのは、きっとこの静寂の中に身を置いたときだ。
祈りが連なる場所には、祈る理由がある。大宮八幡宮は、そんな当たり前のことを、優しく、しかし確かに教えてくれる。